池田林儀をめぐる時間旅行③「北原白秋、妻章子そして瀬戸内寂聴」
2023年11月22日
「ああ、私もあの本は読んだわよ」
林子さんの家でお茶を飲みながら、林儀おじさんの話をなにくれとなく聞いていた時のことである。「あの本」とは、1984年に瀬戸内寂聴が瀬戸内晴美時代に出版した北原白秋の妻に関する評伝である。「ここ過ぎて 白秋と三人の妻」というタイトルで新潮社から出版された。現在は小学館文庫に入っている。
そもそも、林儀おじさんは大隈重信邸で書生をしていた。結核になった時は大隈家の軽井沢の別荘で療養生活を送っていたほどで、まさに世話になった人、である。大隈侯の勧めで東京外国語学校(現在の東京外国語大学)でシャム語を専攻したのだが、林子さんによればタイの日本人町の頭領だった山田長政に憧れていたという。卒業後は講談社に入り、その後大隈侯主催の雑誌「大観」へと移り、ここで北原白秋と出会う。当時小田原に暮らす経済的苦境にあった詩人に原稿を依頼するようになり、「雀の生活」が「大観」で連載された。
当然、白秋の家に出入りするようになり、2番目の妻章子とも顔を合わせるようになった。寂聴によれば、当時林儀おじさんは26~27歳、章子30~31歳、白秋33~34歳であった。男の女の関係には様々な想いのある寂聴は、林儀おじさんと章子の姿をそれはそれはロマンティックなヴェールに包み、「ここ過ぎて」で描いていた。要は、二人は恋に落ち、ある一夜を過ごす。その翌朝、章子は谷崎潤一郎を訪ね、もう白秋とは夫婦でいられない、池田林儀を好きになったと告白する。白秋の手紙によると、林儀おじさんにはすでに当時妻帯者であった。
寂聴は、林子さんのお姉さんの林美さんに会っている。
章子との駆け落ち騒ぎがあった夜、実はすでに林儀おじさんは読売報知新聞社学芸部に移籍し、夏にはベルリン支局特派員としてドイツにいた。また、その当時は独身だった。林美さんは、しっかりとそう証言した。従って、寂聴の収集した様々な資料には事実ではないことも含まれていることは強調しておきたい。それにしても、寂聴の情熱には舌を巻く。インターネットもない時代に自力で著作のための関係者の自宅を訪れるとは、やはり根っからの火山のごとき情熱の人であり、ここまで取材して書いていたことは、親族としては嬉しかった。
「私もあれはやっぱり違うと思うの。父は章子さんといろいろあったのかもしれないけど…あの時はもうベルリンでしょ」
あの時、というのは1918年だった。
「そうかあ…」
「父は恋多き人だったと思うけどね」
「え~!そうなの!?」
寂聴になにより感謝するのは、「ここ過ぎて」での林儀おじさんの風貌の表現である。「『すてきねえ池田さん』」「西洋人のように背が高く日本人離れしたスタイル」「礼装が一分の隙もなく決っていた」「手古舞姿の芸者が二人、模擬店の影から池田に見とれて小走りに立ち去った」ここまで臆面もなく「イケメン」描写が続くのは、子孫としては鼻高々だ。いいぞ、いいぞ、寂聴先生!どうせなら、祖先がとんでもなく見目麗しくないと揶揄されるより、女性に秋波を送られる程美しい人であったと書かれる方が気分が良いに決まっている。しかも、恋多き寂聴による筆致ならなおのことだ。「でも『ここ過ぎて』の林儀おじさん、いい男描写の連続で、なんか嬉しいですよね」林子さんは頬杖をついて「ウフフフ」と、お茶目な笑顔を見せた。林子さんの人生で、最も優しかった人物が林儀おじさんだった。
結局、この「駆け落ち」も理由の一つとなり、白秋と章子は離婚に至るのだが、林儀おじさんと章子さんの間に何があったのか、もう知る由もない。寂聴は門司港から旅立つ林儀おじさんを章子さんがお見送りに来たと記しているが、それも事実なのか、もう我々には確認する術はない。今はただ、この儚いラブストーリーの登場人物全員に感謝するばかりである。
(続く)
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