日本語とウクライナ語とロシア語の間で ウクライナ語翻訳雑感
2022年6月22日
弊社では、欧州のウクライナ避難民やウクライナに居住するウクライナ人に翻訳や語学レッスンをして頂くプロジェクトを行っている。皆さん、ウクライナの大学でしっかり日本語を専攻し、この戦争が始まる前から日本や日本語に関わる仕事をされてきた。
この戦争が始まるまでは、弊社と関わって下さる外国人との「リンガ・フランカ」(通商語)はロシア語で、今も基本的にはそうなのだが、ことウクライナになると、欧州に近いウクライナ西部のウクライナ人は、ロシア語を使用しないという人もいる。他方、心情的にロシア語を使いたくないのではとこちらが配慮した際、「私は家ではロシア語で育ってきたから大丈夫です」と仰る方が多いのは、意外であった。ロシア語とのバイリンガルが非常に多く、戦争前までは、確かにウクライナ国籍者にロシア語で通訳をするのは、私にとっては珍しい事ではなかった。従って、ロシア語が出来る方には、遠慮なくロシア語翻訳も依頼している。彼らには、異国での、戦渦のさなかの生活があるのだ。精神的な支えが重要なのは当然として、避難先での生活資金の確保は非常に大きな課題だ。
そもそも、この2月までは「ウクライナ語翻訳者」「ウクライナ語通訳者」という仕事は、殆どなかった。どうしても、ウクライナ語でなければならないという仕事は、日本では殆どなかった。そのような背景もあり、翻訳に際しては、まず日本語原稿の難解な部分をパラフレーズしたり、ロシア語での訳語リストを作り、翻訳者が翻訳に入る前に送ったり、ある程度のサポートが必要になってくる。
良い翻訳とは、訳文がすっと頭に入ってくる、間違いのない文章にすることのように思う。大きなボリュームや重要な文書は、やはり日本人とウクライナ人で作るのがベストだ。私が、かつてハバロフスクのロシア国営ラジオ局職員だった折、翻訳官としての仕事はニュースの和文翻訳だった。基本的に、自分で訳したニュースをアナウンスするのが決まりだった。最初は簡単な文化ニュース、ベテランになれば政治ニュースがまかされた。ニュースはモスクワで執筆され、ハバロフスクとの時差の関係で、ニュース翻訳はいつも夕方からだった。翻訳は、日本人ひとりで勝手に作ってはいけない。まず日本人が翻訳し、日本課の課長であるロシア人と「読み合わせ」をする。課長は、ウラジオストクの大学を出た日本語の専門家だった。卒業時にソ連時代だったので、「当局からここで働けと言われて来ました。当時は、仕事は選べなかった。ソ連外務省に行けと言われた先輩もいましたが、私はこの放送局だった。でも、ここに来て良かったです。なにせ、ソ連には殆どいなかった日本育ちの日本人と日本語で仕事ができましたから」。この読み合わせは、とても勉強になった。無料の優れた家庭教師がついているようなもので、この経験が私の仕事の基盤となった。同時に、ロシア語圏の外国人と仕事をする流儀や、約束事のいくつかを覚え、ありのままのロシア社会の姿を理解したのも、この放送局での日々によるものだった。
今、ウクライナ語翻訳をウクライナ人と作る折に、あのロシアでの経験が大いに役立っている。皮肉なものだ。日本語のニュアンスを説明する際も「これは、ロシア語でこういう感じ」というフレーズを、時に日本語で、時にロシア語で、いったい何度使ったことか。ウクライナ人との共通語は日本語だが、リンガ・フランカはロシア語なのだ。
それほどに、ウクライナとロシアは言語的にも極めて近しい間柄なのである。日本語においては、この両言語のような関係性を有する言語はない。日本語は、いつもひとりぼっちだ。だからこそ、通訳や翻訳が盛んな国とも言える。
日本語を母国語とし、ロシア語を理解する日本人として、彼らに伴走する仕事は非常に興味深い。楽しい、と断言できる。しかし、それはこれまでのロシアやロシア語とのつながりがあったからこそ味わう感情であり、そもそも戦争など起こらなければ、私は暗い気持ちでウクライナ人たちと働くことはなかった。彼らと関わることは喜びではあるが、その喜びの後ろに渦巻く、途方もない殺戮の地獄を、我々はいったいどうすればよいのだろうか。
株式会社日露サービス
代表取締役社長
野口久美子
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