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AI時代の外国語学習 外国語は学ぶべきか

2024年6月13日

ChatGPTに代表される生成AIによって、私達日本人の外国語学習や外国語運用能力はこの先どうなるのでしょうか。果たして、外国語そのものを学ぶ必要がなくなるのでしょうか。長く言語に携わる者として、考えてみました。

  

一般的な外国語習得においては次の2点の問題点があります。

1点目は、生成AI以前の時代のように、自ら努力をしなければ外国語は習得・運用できないものでした。しかし、生成AIによって英語などでは精度の高い翻訳が可能になり、自己の能力以外のものを用いて外国語が理解できるようになると、おのずと語学学習に対するモチベーションは下がります。

2点目は、外国語が出来ることの価値が低くなったことです。1980年代から1990年代は、日本では外国語の出来る人材も少なく重宝されていましたが、現在の日本では、特に英語は留学経験者も多く、学習ツールも増え、決して珍しいことではなくなりました。そこへきて、生成AIが比較的まともな翻訳をしてくれるとなると、語学力があるだけでは、社会で有用な人材とは判断されない時代になりました。

 

では、現代日本に生きる私達、特に若い世代はもうこの先外国語を学ぶ意味などないのでしょうか。

 

一概にはそう言い切れない側面があります。まず、現在、生成AIを用いて言語を理解する場合、インターネットが必須です。インターネットがない閉鎖的な空間、あるいは非常に開放的な空間で会話をする場合、一切使用できません。さらに、これらの機器はある事実を短文で確認するには利便性が高いのですが、プロセスの長い説明には向いていません。説得力のあるものいいで、相手に決断を迫ったり、複雑な心情を述べたりするには、やはり習得した言語で理路整然と述べるほうが早く、効果的でしょう。WiFiが無くても、その場で説明や説得ができるのは大変便利であり、ひいては自分の利益を守ることにもつながります。

 

他方、ある言語が話せるということは、その言語の話者から信頼を得ることができ、彼らとの協力には不可欠です。言語を学ぶ過程で、彼らの歴史や文化も学び、理解を深めた過去はその言語の話者には好感のもてることです。その国や地域に対する敬意の証、理解度の高さのパスポートになるのは、「その国の言語をきちんと習得した」という事実です。その時点で、駆け引きの一歩先を踏み出しているわけです。

 

いくらその言語が話されている国や地域が好きだ、関心があると言っても、その地域の言語を知っているか否かでその人への評価は大きく変わるでしょう。日本が好きだと言う外国人は多くいるのは事実ですが、その中でしっかり学校でこの難解な日本語や日本文化を学んだ人がどれだけいるのでしょうか。

 

より複雑で、より利害関係の生じる会話においては、自ら外国語で話すほうがアドヴァンテージがあります。では実際問題、外国語は学ぶべきなのでしょうか。

 

今後は、特にその必要のない人々は外国語を学ぶ関心を失い、その必要がある境遇に置かれる、またはそのように生きたい人々が外国語を学び続けるのではないでしょうか。そして、その数はあまり多くなくなるのかもしれません。

外国語は「学ぶべきもの」から、「ライフスタイルに応じて学ぶこともあるもの」へ変貌していくように考えています。皆さんはどうお考えでしょうか。

 

株式会社日露サービス
代表取締役社長
野口久美子

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