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キルギスの首都で過ごすヴァカンス その1「記憶の箱」

2023年10月7日

中央アジアにある人口600万人の国、キルギス共和国。実は、私とキルギスは無縁ではなかった。2013年、当時のアタンバエフ大統領が実務訪問賓客として訪日した際、京都御所での夕食会(京都はアウェイで肩身が狭かった!!江戸からのこのこ来てすみません)で御一行の通訳をしたことがある。また、2022年にミルラン・アルスタンバエフキルギス大使の都内での講演会をオーガナイズしたこともあるし、北部のリゾート・イシククル湖のサナトリウムに行ったこともあった。

 

このような御縁もあり、なんとなくいつかは行ってみたかった首都ビシュケク。思い切って現地のお友達に会いにヴァカンスすることにした。

 

エミレーツ航空で羽田からドバイ経由、トランジットも合わせれば遠路30時間の旅。ドバイでご飯を食べて、インターミッションのひと時を。バスマティライスのカレーが美味しい!アラビアンスタイルの食事も、私は好きです!

 

 

この下品なリッチさがたまらない!ドバイ空港のゴールドショップ。椰子の木とインゴット。まさにドバイの象徴で、旅人を興奮させるアイテムではある。

 

 

ソ連時代はキーウと並んで緑豊かだと言われた、首都ビシュケクに到着。空港から都心までは30分程度だ。チェックインしたホテルで、早速朝ご飯しよう。朝の空気の中で頂くブリヌイ、おいしい…。ウェルカム・スイーツって感じがするわ!きっと新しい発見に満ちた旅になりそう。

 

 

現地のお友達と合流し、市内散策を兼ねて145年の歴史を有するビシュケクの様々な建築を見に行く。

 

彼女の母校ユスフ・ベラサグニ記念キルギス国立大学。キルギスで最も優秀な大学。ユスフ・ベラサグニは、11世紀のトルコの詩人で「クタドゥグ・ビリグ(幸福の知恵)」という道徳書を著した人物。統治する者の心得を書いたというのだが、是非読んでみたい。…でも、なんとなく予想がつく。どこの国も幸福論や道徳論は、似通っている。特に幸福は、いつだって人々にとって普遍的なものだから。

 

 

フィルハーモニーホールには、キルギスの英雄叙事詩「マナス」の主人公マナス像がある。マナスはこの国のシンボル、空港の名もマナスだ。像の周りには、「マナス」を吟じるマナスチーの像もある。マナスチーは、自ら詩的に「マナス」を構築する芸術家でもある。ソ連時代に「最後の偉大なマナスチー」サヤクバイ・カララエフが死んで以来、マナスチーはいないと友人は話していたが、調べてみると若いマナスチーはそれなりにいて、学生だったり、教員だったりで現代社会を生きている。この国の紙幣に描かれた人物の多くが、詩人や芸術関係の人物であることは、彼らの精神性を語る。ちなみに、紙幣を全て並べてみると…レインボーカラーになる。

 

 

 

国会議事堂ホワイトハウス。2010年にここで85人が亡くなる政変があった。2020年も反政府運動でデモ隊が突入したことがある。「この国はね、我慢して我慢して、人々が爆発するのよ」と友人。他の中央アジアの国々より、独裁政権の傾向が小さく、大統領も30年で6人目。ある意味、健全な政治体制だ。自ら大統領の座を譲ったのはアタンバーエフ氏だけ。他は全て政変により交代している。

 

 

こちらは、大統領府。

 

 

このレトロでエレガントな建築は、キルギス最高裁判所の一部。風情のある石づくりの建築だ。

 

 

 

19世紀の2階建て建築。国の文化財として残っている。当時の知事イリヤ・チェレンチェフの館。

 

 

 

キルギス経済大学。モスクワでロシア外務省やモスクワ大学に用いられている、スターリン様式の建築。夕暮れの光に照らされ、風情のある光景だった。

 

 

映画館アラトー。1938年に建設され1963年に改修工事が行われた。

ソ連時代作られた物が今も残っており、壁のレリーフが興味深い。キルギス社会主義共和国として、当時のこの街がソビエト連邦のメンバーであることを強く訴求している。向かって左に「キルギス ロシア」と刻まれ、ソ連最初の宇宙飛行士の左手に輝く石には「ソビエト連邦」。

書を読む、明らかに労働者である女性たちは、ソ連政府による文盲の根絶を示す。

 

 

 

 

キルギス外務省とレストラン「フルンゼ」。外務省と呼ぶには随分こじんまりとしていた。これもソ連スタイルの建築だろう。フルンゼはソ連の軍人ミハイル・フルンゼに因み、ビシュケクがかつて呼ばれていた名称。このレストランは政治家や外交官が集まる店だとか。おいしいの?と尋ねると、量が少なくてイマイチとのこと。

 

 

 

さほど大きくない首都の中に、それぞれの時代の記憶を物語る建築や彫像に溢れたビシュケク。レーニン像や、マルクスとエンゲルス像も、まだ残っていた。スラヴ社会の無縁であったこの町にやってきた社会主義の波、ソ連崩壊、吹き荒れたいくつもの政変の嵐。まるで記憶の箱のように、ビシュケクが変わり続ける度、市民はまたあらたな建造物をこの町に残し続けるのだろう。

 

 

株式会社日露サービス

代表取締役社長

野口久美子

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