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1998

2022年3月10日

日本も含む欧米からのロシアへの経済制裁が、本格化している。この禍々しく悲惨なウクライナの戦火を、果たして消すことができるのか。
 
ロシア社会が経済的混乱に陥るのは確かだが、実際「経済的混乱」がどのようなものであるかは、実態がつかみにくい。
 
1998年8月、ロシアはデフォルトを実施した。私はその年の10月にハバロフスクのロシア国営放送「ロシアの声」日本課に就職する予定だった。8月の朝、ロシアでまた何かあったわよと母親にたたき起こされた。寝ぼけ眼でテレビの前に座ると、デフォルトのニュース。経済に疎かった私は、何が起きたのか今一つ飲み込めないでいた。しかし、ロシアで働くことをやめる決断は、しなかった。今更もう引けなかった。
 
当時のインフレ率は、98年が84.5%、99年が36.6%、油価が回復し始めた2000年には20.1%までに落ち着いた。実のところ、98年の冬は非常に厳しかった。日用品の価格が買えない程に上昇することは、98年の12月には既になかったが、国全体を覆う空気は明るいものではかった。実際、私の雇用契約書に書かれていた給与の価値は三分の一になっていた。他方、99年にはこの状況に慣れ、2000年に新しい大統領が、すなわち今の大統領なのだが、誕生した頃にはロシア社会は夜明けの中にあった。
 
私が携わっていた日本向けのラジオ放送では、98年のうちから「ロシア経済は回復している」という趣旨の内容であった。デフォルトという特効薬を打ったので、それは決して嘘ではないのだか、回復と呼ぶには国民の実感を伴わなかった。しかし、政府の放送なのでそこを指摘して記事にする記者は誰もいなかった。
 
デフォルトの世界では、買えないものがはっきりしている。欧米の経済に関わる商品は非常に高額で、例えばダノンのヨーグルト1個すら私には購入を躊躇わせた。ヨーグルト1個で米が3キロは買えた。しかし、ロシアには中国がいる。この時代も米や野菜は中国から来ており市民生活を支えていた。市場には中国人の売り子たちがテントを並べ、100円ショップで売っていそうな日用雑貨はここで買えた。食料に著しく困ることは、中国ルートがあれば問題なかったのだ。また、ロシアの風土での栽培に適した野菜、たとえばじゃがいもやビーツは廉価なままであった。
 
従って、IMFから援助を受けようと、インフレ率が二けたであろうと、ロシア企業で働いていようと、それなりには生きることが出来たのだった。
 
今回の経済制裁で、再び中国がロシアの生活を大きく支えるのは簡単に予測がつく。ロシア下院は、中国のユニオンペイカードと組んだクレジットカードであるミールのPRを始めた。市民生活は98年程度の「通常運行」で回っていくだろう。当時との大きな違いは、インフレよりも、急激な失業率の増加と市民の意識である。欧米企業の撤退により職を失う層が、98年当時よりも圧倒的に多い。失業者の量も多く、スピードも速い。今後ロシアは、ドルもユーロもない世界で国民に国内で循環していく仕事を確保していかざるをえない。また、既にロシアの人々はスターバックスラテを片手にスマホで電子決済し、ZARAのシャツを着るカジュアルな華やかさのある生活を知っている。これらが変化し、再び21世紀のソ連が構築されていくことは98年にはなかった事象で、市民の意識をどう変えていくかが課題である。
 
さらに、この経済構造の変化に乗じ、新たなニューリッチが生まれるだろう。企業を再編成し、新たな財を成す層が必ずいる。5年後、10年後、この層がロシアの政治経済に影響を与えることは、想像に難くない。

 
株式会社日露サービス
代表取締役社長
野口久美子

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