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弊社はソヴィエト連邦との関係が1世紀となりました

2025年2月21日

1925年2月21日12時30分、読売報知新聞記者池田林儀は日ソ基本条約締結の第一信報道のため、霙降るモスクワに入りました。東京を2月8日に出発、2月13日満州里、2月14日にシベリア鉄道本線でチタを出発します。イルクーツク、ニジュネウジンスク、ノヴォニコラエフスク、オムスク、スヴェルドルフスク、を経て2週間の行程でした。その詳細な行程と彼の当時のソヴィエト・ロシア観は、大正15年に文友社より刊行された著作「永遠の貧困」に「白樺の色紙」という名の随筆で詳細に語られています。

 

その70年後、1995年7月、当時早稲田大学でロシア文学を学んでいた私も、モスクワのプーシキン大学での夏季語学研修のため、モスクワを訪問しました。当時は、ソ連邦崩壊から4年、まだ荒んだ空気の残る雰囲気ではありましたが、市井の人々は素朴で親切でした。ロシア文学を愛する若者に、彼らは敬意と友情の念をもって接し、27年後にウクライナで戦争が起き、ロシアがこれまでになく孤立することを誰も想像しえませんでした。卒業後は、ハバロフスクのロシア国営ラジオ局に新卒で就職し、ドイツと関係を深めた大伯父同様、報道機関の一員として主としてロシア人と仕事をしたり、モスクワで日本大使館を建設する事業に従事したり、ドイツに滞在したりし現在に至ります。当時は大伯父のこのような軌跡については全くと言っていいほど、知りませんでした。偶然重なる部分の方が、多かったのでした。2016年の山口県での日ロ首脳会談は私もお手伝いする機会があり、本当に珍しく日本とロシアが公式レベルで華やかな雰囲気だったことは忘れられません。日本とロシアの接近はあれが極大値であったことは、大変残念に思いますが、いつかまた関係が改善される日を待ち詫びております。

 

大伯父の訪露から100年、私共株式会社日露サービスも旧ソ連各国との経済交流に尽力しております。ウクライナに真の平和が実現し、ウクライナの市井の人々が安心して暮らせる時代が到来することを心より祈念しております。1世紀という時を経て新たにに始まる時代において、願わくばウクライナやロシアの人々に平穏な時代が訪れ、日本もまた平和と繁栄の名のもとに各国との友好に真摯に努める国であり続けることを願っております。

 
株式会社日露サービス
代表取締役社長
野口久美子
 
 

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