池田林儀をめぐる時間旅行④ 本の配達でホノルルへ行った理由 林儀と修三
2025年2月5日
祖父池田慶四郎は、1944年(昭和19年)に肺病で亡くなるまで、林儀おじさんと日独旬刊社出版局および調査部でドイツの政治や経済に関する書籍の編集・発行を行っていた。タイトルを並べれば、それがどのような内容かすぐにわかる。「獨逸事情早わかり」(昭和16年)「民族社會主義獨逸労働黨 ナチスの援護事業」(昭和16年)「ヒトラー總統の進撃命令まで」(昭和17年)「ドイツの模範工場」(昭和16年)「戦時下ドイツの労働奉仕団の活躍」(昭和16年)。当時の日本の同盟国であるナチスドイツの分析である。「ヒトラー總統の進撃命令まで」はファン・ヴェールトなる人物が、1939年(昭和14年)のドイツのポーランド侵攻前夜を記し、林儀おじさんが独日翻訳、慶四郎おじいちゃんが発行者なのだが、表紙には世界の敵であるヒトラーの写真が大きく印刷され、現代に生きる子孫としては簡単に他人様に見せるものではないことは、確かであった。あの当時、日本の首都で出版業を営み、外国の政治経済に精通していた大伯父と祖父は、私にとっては誇らしくもあるのだが、ナチスドイツはやはりナチスドイツ、人類の歴史の汚点である。
1944年(昭和19年)、祖父が日本の敗戦を知らずに他界したことは幸運だった。終戦後、GHQは日獨旬刊社の書籍を発禁・処分し、海軍の「情報収集」の局のトップにいた林儀おじさんはA級戦犯になる予定だった。それは当然、巣鴨プリズンでの処刑台行きを意味する。しかしGHQは、ドイツ情勢や朝鮮半島の共産主義者の状況に精通した林儀おじさんから、そのような情報を吸い上げることにし、公職追放はしたものの、命は奪わなかった。文字通り首の皮一枚でつながった。そういった事情で、彼らの発行した書籍は内容も内容なのであまり残っておらず、私の手元にも何冊かしかなかった。何冊かではあったが、色褪せ、紙質も今では比べようもなく劣化したそれらの本は、私たち家族の極めて個人的な生活と当時の複雑な国際情勢が交わる、人知れぬ小さな遺跡のようなものだった。
一方、親族のひとりに秋田県にかほ市に池田修三という版画家がいた。1922年(大正11年)に象潟町で生まれ、2004年(平成16年)に他界した。あれは、小学生の頃だった。父が大きな版画を持って帰ってきたことがある。「髪かざり」という作品だった。一人の少女がもう一人の少女に髪飾りをつけてあげている。黒目の瞳が印象深く、ふんわりとした優しい作品だった。「親戚のおじさんが版画家なんだ。お前たちみたいな作品をくれたんだよ」。私には姉がいる。なるほど、この少女たちは姉妹なのだ。長い間、この「修三おじさん」の版画は家の玄関を飾り、子供時代の記憶の一部であった。ところが、没後、池田修三の作品が急に脚光を浴び始めたことがあった。きっかけはある編集者が池田修三に関する本を出し、あれよあれよという間に、秋田空港には彼の作品が秋田のアイコンのように飾られ、日本郵便から5回もシリーズ切手「にかほの宝物池田修三」が発行された。現在は他の遺族より寄贈された象潟郷土資料館が作品を管理しているのだが、作品を管理する人々の作品への愛と情熱は作品集「ものがたり」として、2022年(令和4年)に刊行された。修三おじさんは父と林子さんのはとこにあたる。そして、修三おじさんもまた、戦時中は林儀おじさんの本郷の家に身を寄せていたことがある人物であった。
私は林子さんに連絡をとった。「祖父の本が出てきたんです。あとね、修三さんの作品が新しい作品集になったんですよ。象潟郷土資料館の担当の方々が、印刷も本当に細部までこだわって作ってくださったんですよ。綺麗なの」「まあ!私は父の本、持っていないのよ。修三さんの画集も最後のをあなたにあげたきりだったけど」。
これは、彼女の手元にも置いておくべき。彼女に本を渡そう。そう考え、私は思い切って再びハワイ州を訪問することにした。折しもESTA(米国の電子渡航認証システム)が令和7年2月で期限切れ。アメリカではドナルド・トランプ大統領のもとでなにがどう変わるのか、全く読めない。善は急げなのだった。2冊あった「文明の崩壊」にした。1925年(大正14年)に発行され、本の装丁は竹久夢二が担当したものだった。タイトルの手書きの文字が、美しく繊細だった。
「じゃあ、ホノルルで集まりましょう」
「OK、朝10時に空港でね!」
画集と2冊の古い本をスーツケースにしまい、ホノルル行きの飛行機に乗った。
(続く)
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