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ボトルの中のソヴィエト連邦 モルドヴァ共和国

2024年9月12日

 

旧ソ連のモル(Lの音)ドヴァ共和国の首都キシナウは、なかなか遠い場所だった。羽田からイスタンブールまで13時間、さらに乗り換えて1時間30分。西部はルーマニア、それ以外はウクライナと隣接している国だ。人口は京都府よりやや多い約260万人、面積は九州よりやや小さい3万3843㎡で、旧ソ連では2番目に小さい共和国だった。かつてはモル(Lの音)ダヴィア共和国と呼ばれ、旧ソ連でもワインの名産地のひとつで、共和国国章にも葡萄があしらってあったことを思い出す。

 

ちなみに、ロシアのヴォルガ川流域に「モル(Rの音)ドヴィン人」による「モル(Rの音)ドヴィア共和国」は現在もあり、この共和国と間違えてしまうことがある。LとRの発音の違いのない日本語話者には混同しやすい。

 

公用語はルーマニア語だが、ロシア語も十分通じる。外国人がロシア語で話しても、嫌がられることはない。ウクライナにおける戦争の余波で、特にこの地域一帯でのロシア語の使用には、神経を使う。この国は、もともとモルドヴァの一部であった沿ドニエストル共和国というロシア軍が駐留している「国」との問題が根深く、第2のウクライナになる可能性があるとも言われている。地政学上、モルドヴァでの戦争の影は濃く、8月の時点で、モルドヴァ国内には5万7611人のウクライナからの一時避難民が登録されている。

 

「皆で、ワイナリーに行ってみませんか」。

今回、キシナウの出張先の代表である、モルドヴァ人のAさんが誘ってくださった。伝統あるワインの国のワイナリー、これは興味深い。どんなところですかと尋ねると、んー、行ってみればわかります、上着は持ってきてね。それだけだった。

バスに乗せられ、30分も行っただろうか。テーマパークの城のような門が現れ、ワイングラスと樽を模したユニークな噴水がある敷地に通された。ここは、キシナウから12㎞のヤロヴェニ地区という集落にあるワイナリー「ミレシュティイ・ミチ(MILEŞTII MICI)」。小さなミレシュティという意味である。150万本のワインがこのワインセラーにあるということで、2007年にギネスブックに載ったそうだ。売店や門の周辺は明るく、刺すような真夏の日差しが、じりじりと照り付けてくる。

 

 

ワインセラーは、地下にある。専用の2両編成の車に乗ると毛布を渡された。ワインセラーガイドのアンドレイ氏が「ようこそ、ミレシュティイ・ミチへ!寒いので毛布を使ってください」。車は地下へ地下へと進み、地下道とでも呼べそうな薄暗い坑道に出た。上着を持ってきて、という意味が今わかる。とにかく冷える。寒い。ワイン貯蔵庫なのだから当然と言えば当然。アンドレイ氏は続けた。「1969年、ソ連の坑道を利用して出来たワイナリーです。今、このあたりは14℃くらいですね」ひんやりとした空気は、墓所のような印象さえする。

 

 

「今から秘密の部屋に御案内しましょう」と彼は言い、しばらく車が地下通路を走ったのち、通路で降ろされ、さらに奥へと我々は連れて行かれた。この坑道の全長は200kmで、観光客が入れるのはごくわずか。アンドレイ氏は指をさしながら我々を促した。「このワイン棚の奥に空間がありますね。ゴルバチョフ時代、ソ連では禁酒令が施行されました」1985年ね。まさか、ワインを捨てたとか。「ワイン王国であるモルダヴィア共和国の官僚たちは、ここに我々の素晴らしいワインを隠しまして」なんと、まあ。「ソ連が解体してから、この空間があると分かり、良い古いワインが眠っていることが明らかになったのです。それまでは未知の存在でした」。埋蔵金ならぬ、埋蔵酒がでたという訳か。酒好き文化のモルドヴァ人たちは、さぞやこの賜物に欣喜雀躍しただろう。

 

 

このツアーには、素晴らしいエピローグが用意されていた。モルドヴァ料理を楽しみながら、ここのワインを4種類テイスティング、というおまけつきだったのだ。

 

 

昨年の白です、と注がれた白ワインは、口に含むと爽やかで軽い。次はロゼ、赤と続き、最後のデザートワインは、葡萄のエッセンスと言わんばかりの甘さ。モルドヴァの伝統的なスープ・ザーマは、鶏肉と野菜とヌードルのコンソメじたてのスープだった。トウモロコシの粉を練ったママリーガは、ワインに合うと言うよりも、郷土料理の筆頭なのだろう。東欧らしい鄙びた味わいだ。デザートは、チェリーとクリームを巻き込んだクレープに、甘いプルーンが添えてあった。ほろ酔いで楽しんでいると、歳のいったバイオリン弾きとアコーディオン奏者の男性が現れ、音楽を奏でて歓待してくれた。「皆さん、どちらから?マダム、あなたは?」「日本です」「じゃあ、日本の曲を演奏しましょう」。旧ソ連では映画の主題歌でおなじみの「恋のバカンス」を巧みに弾いてくれた。ザ・ピーナッツのあの佳曲である。同席していた旧ソ連の人々は、えっ、これってソ連の歌でしょ、と驚嘆していたが、かつてこの歌がソ連の流行歌であったことを知る人さえも、ますます少なくなるのだろう。

 

 

キシナウに帰る時間が来てしまい、せかされるように席を立った。ワインセラーの出口には売店があった。お土産にあのデザートワインでも買っていこうと、似たような箱をつかんで支払いをし、安くて美味しいデザートワインと共にモルドヴァ出張を振り返れる、と喜びながら帰途に就いた。ところがである。日本に帰って瓶を確認すると、何かが違う。Rosuはもしかしたら、赤ワインということなのだろうか。ルーマニア語の表記なので全然読めなかった。しかも、これは1986年製造の赤ワイン。2005年に瓶詰めされ、御丁寧にシリアルナンバーまでついていた。

 

ボトルの中のワインは、今は亡きmade in USSRだったのだ。ワインボトルの外は、21世紀。ソヴィエト連邦というボトルが割れて、久しい。私はソ連時代を惜しみ、復活を願う人間ではない。ただ、あの頃はウクライナとロシアのこの目を覆う惨状だけは、決して起こらなかった。ごく普通の暮らしに生きる人々が、かくも多く戦場で死ぬことはなかった。1986年生まれのワインは、ペレストロイカにソ連邦解体、かつては同じ国家の共和国という紐帯で結ばれていたウクライナとロシアの戦争が死の破壊を続けていることを知らないかのように、静かに眠っている。

 

 

株式会社日露サービス
代表取締役社長
野口久美子

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